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共依存

様々なアディクションのもとをたどっていくと、この共依存(Co-dependence)の問題が見えてくることが多々あります。共依存をひとことで表現するなら「自己喪失による生きにくさ」ということになるでしょうか。自分はどうしたいのか、どう感じているのかが分からず、自分を受け入れ、大切にし、愛することができない。常に相手がどう感じているのか、何を望んでいるのかが基準となり、そのことに振り回され、自分自身の人生をエンジョイできない生き方と言えるでしょう。

共依存という概念は当初アルコール依存症の配偶者をとらえた言葉として使われていました。
依存症者が酒にとらわれているのと同時に、配偶者は「依存症者をどうにかすること」にとらわれ自分を見失っている状態、これがまさに共に依存しているということとして表現されていました。そしてアルコールを皮切りに様々なアディクションの広がりと関連障害が見えてきた時に、これはアルコール依存症特有の構造的問題ではなく、育った家族関係の中で培われた人間関係のありかたに起因することが分かってきました。良妻賢母という言葉に象徴されるように、日本の社会では古くから「相手に尽くす」ことは美徳とされ、賞賛されてきたため、自分を犠牲にしてまで相手のために頑張り、結果として相手の力を奪ってしまうという問題には気付きにくかったと言えます。

共依存はそのこと自体が問題とは言えません。何故ならどこの家族関係にも共依存的な要素は存在するからです。赤ちゃんと母親の関係を考えてみましょう。赤ちゃんは何らかの欲求を満たして欲しい時、泣き叫ぶことで要求し、母親はすかさず何を要求しているのか見極めそれに応えます。一見当たり前の話ですが、赤ちゃんは泣き叫ぶことで「欲求を満たしてもらおう」とし、母親は自分のことはさておき「欲求に応えよう」とします。夫婦関係も見てみましょう。風邪を引いて寝込んでいる夫がいると、妻はいつも以上に気を使い、自分のことよりも夫の回復の為に一所懸命介抱するのは、ごく当たり前の光景だと思います。このように共依存というのは、ある種のサバイバルを乗り越えるための関係性の中に根底があり、少なからずとも我々人間は、広い意味での共依存的な「支えあい」の中で生きていることは否定できないでしょう。つまり健康な状態では問題として見えてこない共依存が、様々なアディクションに陥ると回復を妨げる人間関係の網となって絡むため、その部分に着目しなければ安定した社会生活を営むことが難しくなると言えるでしょう。



医療法人 北仁会 いしばし病院 ホームページより抜粋
http://www.ishibashi-hospital.com/


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